74Rainyのブログ

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「ストリート・エイジ」を撮って

以降めっちゃ恥ずかしい自分語りをします。ごめんなさい。


映画を撮るのはかねてからの夢だったと思う。細田守とか新海誠とか大好きで、映画は趣味だったが自分で撮りたいと思い始めたのは高1になってからだと思う。制作現場の方に興味を持つようになった。
なのでその頃入っていた委員会のメンツで「文化祭で出す映画を撮ろう」という話が出た時はすぐ飛びついた。文化祭に関してはすでに相当忙しかったし、わざわざこんな時期に、とも思うし、大学に入ってからにすればよかったのに、とも言える。実はちょっと迷ったけど、死ぬ道を選んだ。

実際の制作の話をする。

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「ストリート・エイジ」という題名自体は実は2年ぐらい前から持て余していた。街、という場が好きだった。人の交流の場、青春にもぴったりだと思った。
諸事情あり、3日で大まかな起承転結を決める必要があった。変更できないため、短時間で慎重に悩んだ結果、こんなものができた。
起)男子高生が家出を目論む。同じ頃、孤児が施設を抜け出す。
承)新宿で出会い、色々やる。
転)事件が起き、悩む。
結)それぞれの成長をして、解散する。
本当に大まかだったので、ここから肉付けをする必要があった。
思い返すと、これは50分で収まる内容ではない。撮るなら長編を、というポリシーでいたけど、張り切りすぎたと今になって思った。
文芸部に所属して3年間小説を書いた。幾重にも重なる批評で、先輩、同級生、後輩にも鍛えられ、文字の後ろに世界を広げるのは慣れたと思う。だからそのノリで、旅行が終わり暇になったと同時に、頭の中でこんなのがいいなあ、というのを思い描いた。この時点で雰囲気は自分の中でできていた。


さて、脚本を書く上で最も悩まされたのは「転」の部分だ。
転)事件が起き、悩む。
ではなにがなんだかわからない。
どうしよう。何を起こそう。文芸部でも、「世界を作るのは得意だが、そこで何かを起こすのは苦手」とよく言われた。何故だかは知らないけど本当にそうだと思う。世界観を作り込んで、概念を入れ込んでも、その上で人を動かせない。もどかしかった。
制作陣のみんなで考えた。LINEグループで話したり、放課後話したり。脚本担当だったので基本執筆は主導したけれど、わりと他人にも相談したかもしれない。結果的に異世界モノになった。ありきたりだけど、ウケは良さそうだと思ったためである。起伏も作りやすい。
だけど、重大なこととして、
転)事件が起き、悩む
が、
転)異世界に迷い込み、事件が起き、悩む。
になっただけである。結局異世界でどう人を動かすかに難儀した。
6月末には脚本を提出するため、2週間ほどでこの点を考えた。それでも相当時間があったと思う。
ここで時間制約がネックになってくる。異世界で成長させるなら時間がたっぷり必要だ。が、前後を抜いて30分強ぐらいしか異世界に割けない。80分にすればよかったというのはまああるけど。30分で満足させる原稿を書く必要があった。ヤバイ
結局書きあがった原稿が、
1)異世界に迷い込む。誰に話しかけても答えてくれない。
2)主人公3人は自分たちに気づいてもらえるよう奮闘する。
3)気づいてもらえるには住民登録がいる。が、住民登録をすると街から出られない。
4)住民登録をせずやっていく方法を模索。
5)元凶であるヤクザを倒すことを思いつく。
6)決戦のため色々する。
7)倒す。
……
みたいな感じだった。だけど、やっぱり30分に収まるもんじゃなかった。
このストーリーを書くまでに死ぬほど時間がかかった。ゼロから話が浮かばないなら、伝えたいことを決めて、それに合致するストーリーを決めよう、ということで、伝えたいことをまとめた。それが、
・誰でも自分の環境に満足しないこともあるし、何か捨ててる感はある
・だが、捨てながら生きるのも捨てたもんじゃない
・自分たちにできることをやることがいいと思う
ということだ。これなんでこんな上から目線なんだろうwwまあいいや。
これもこれで起伏なさすぎたな、と思う。これは様々な葛藤の上で起きる最後のことだよね。「この結論に至るまでの葛藤」とかを書かなきゃあかんことになる。メッセージとしてはいいと思うけど、ズバッと切り込んでいく感じではない。
うまく書くのが難しいストーリーながら、
・男子高生サイド
①自分たちは何か捨ててる感はある
・孤児サイド
①自分の人生を否定しつつある
②自分だけで選択した経験があまりないので、これからどうすればいいかわからない
という問題を、
・男子高生サイド
★①「自分たちが選びながら生きている」ことを認める
☆「孤児が強く生きている」ことから学ぶ。
・孤児サイド
☆①「自分が強く生きていること」を認める
★②「選択を繰り返している男子高生」を垣間見る

というふうな対応ができた。★どうし、☆どうしで共鳴する。うまくやれたとその時は思った。読んでいてわかる通り、全くうまくやれていない。こんな漠然極まりない変化は、やはりじっくり書いていくしかない。細すぎる。細すぎるのである。
それで、これに当てはまるストーリーということで、上の1)〜7)のようなものができた。
この「捨てながら生きることは捨てたもんじゃない」というのは、映画の話が出るちょっと前自分が今の環境に不満を持っていて、そこから出たものだった。うーん。
やっぱりもっと大味な変化が必要かも。さもなくば丁寧に、丁寧に書くしかない。
細すぎて、しかもあまり丁寧に描けなかった。

こういうわけで、すでに違和感はありながら脚本を提出した。この脚本は本チャンのものだったため、これで撮影をした。100点満点で自分でつけるなら、4,50点ぐらいだと思う。

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次に撮影を始めた。ここがまた難しい。文字の上なら、こういった微細な変化も、ある程度想像できると思うし、舞台になる世界観も想像が広がる。が、現実の枠で見たらそうはいかない。伝わらない。伝えないといけない。文芸部で今までやってきた努力と、全く別種の努力が必要だった。(でも文芸部での経験はかなり役立った)
ここで釈明すると、小説しか書いてこなかったから映像が難しかった、ということではない。文芸部でも「映像にしたら面白い」という原稿を書く人を何人か知っているし、映像向きの小説もあると思う。
ここでいう努力は、文字で伝わることを映像でも伝える努力だ。
だが、振り返ってみるとこの努力がなかなかできなかった。いろいろ模索すればよかったけど、わりとフィーリングで撮ったところも多かった。違和感を持ちながらカメラを握ったが、キャストの皆が本当に上手くて僕の不足を持ち上げてくれた。
が、それでもまだまだ足りなかったと思う。カットも粗かった。
映画館で映画を見ると、映像の上手さに本当に感動することが多々ある。映像でしか伝えられないものもある。映像の奇跡だと思う。
それはカメラの持ち方かもしれないし、カットの書き方かもしれないし、セリフの運び方かもしれない。映画は全部が難しい。文化祭中、映画は難しいと何回も呟いた。本心でそう思う。難しい。

撮影は楽しかった。事務的な話になるが予定管理が甘かった。脚本を読んでもらって、それで撮影だが、告知が遅かったと思う。自分も自分で忙しかった(言い訳)こともありカット表をあまり練れなかった感もある。カット表を書いて、当日撮りながら調整をして、アドリブも込みで撮っていく。スケジュールは立てたので割とコンスタントに進んだ(台風で2回潰れたが)。もちろん当日ぐだったところもあり、そこは反省している。

本当に撮影は楽しかった。学校近くの路地で撮ったり、新宿に行って撮ったり、帰りで新宿御苑に寄ったり。カメラを持つときはやっぱり楽しい。超疲れるけど。演技はみんな上手かった。演劇部の人もいたけど、そうでない人も上手かった。本当は僕の方からこんな演技をとお願いして、キャラ構成も事前に練るべきだったかもしれないけど。とにかく楽しかった。撮影は当初4人、飛び入りで数カット分1人協力してもらい5人でやった。後で他の人が撮った映像を見て、「上手いなあ」と感動することも多かった。

ところで、撮影のときに最も反省すべきだったのは「音」である。ご覧になった方はご存知の通りこの映画極めて音質が悪い。外で撮ろうものなら環境音をはじめとする雑音に加え、夏だからセミがこれでもかというぐらい鳴く(割と本当に狂ってる)。アテレコをするとなっても、iPhoneのマイクは割と音質がいいが、外で撮る音とは声が変わってしまう。アテレコもやるなら結構労力がいる。環境音を拾わないマイクがあるので、撮影と同時にそれで撮るのがベストかもしれない。音が悪いとなかなか伝わらない。

撮影が終わって、順繰りで編集をした。これは当初の撮影班の4人でやったが、僕は動画編集はもっぱら素人で、不可逆圧縮とか、言葉だけは知っているけどうまくつかめず、なかなか苦労した。それから、実際にできた映像は(それでも削りに削りまくったつもりだが)72分のものだった。これを当日のために、46分に削らなければならない。同級生によると「シン・ゴジラ」もだいぶ削ったらしい。それにしても26分削るのは多い。

あと、編集の上でカットの怠慢がわかった。編集を考えて撮影をしないと音が不自然になっていろいろやばい。さらに、脚本順に取らなかったためミスで同じ位置で連続したカットを取ることも何回かあった。セミの種類がカットごとに違ってカオスだった。編集も技量だと思った。あとプラグインを入れてたと思ったら最後まで入ってなかった。ごめんなさい。大分aviutlに詳しくなれたと思う。だけどエクスポートできないのだけは最後まで解せない。

本筋に関わらないセリフを率先して削るしかなかったが、伝える過程で削るなら本筋に関わるか関わらないかというのはあまり関係なくて、どこが無駄かを見極めねばならない。が、ただでさえ短い時間で伝えようとしているものを削ると、やはりもっと伝わらない。出来上がった映像を数人に見せたが、「削ってる感がある」という感想がやはり多かった。残ってる動画データから72分のストリート・エイジを作って、一回見てみたい。限られた制約で伝えることの難しさがわかった。

ここまで見るとやっぱり映画を撮るのは難しい。Game Changer(同じ部屋の他の映画)とか二年目で上手かった。めっっっっちゃ面白かった。すごいなあと思った。もう1年やりたい。

編集は大分難航した。同時にアテレコである。ここまでくると佳境だが、アテレコがやはり難しい。iPhoneのカメラは良かったが、人によって音質が違い、やっぱり不自然になってしまう。まあしょうがない。実は、パソコンで流した時は違和感がすごかったが、実際に上映して見るとまだマシだった。上映した部屋のスピーカーの音質が若干荒かったのがむしろ功を奏して、環境音とうまく紛れてくれた。やり方としては、声が聞こえないシーンは声を当てて、元の声と混ざってしまうため元の音声を全て消し、代わりにフリー素材の環境音を同時に流す、という感じである。ところで音声を分割すると全部ずれるムービーメーカー、お前だけは許さないぞ。

そんなこんなで「ストリート・エイジ」は文化祭一週間前に完成した。46分45秒の映画だった。

真面目な感じで言うと映画は練りに練ったスケジュールのもとに撮るべきだと思う。編集と脚本と撮影が全部リンクしているので、編集のことを考えて撮影をし、撮影のことを考えて脚本を書き、脚本のことを考えて編集をしないといけない。

まあこんなに真面目に考えてもつらすぎる。大分大味にスケジュールをとっても面白い映画は作れると思う。でもさすがに今回は後先なさすぎたため反省している。それからGame Changerの人にも言われたがやはり絵コンテは大事らしい。

あと、Twitterでも指摘されていたが、コメディは多めに入れるべきだった。一回ギャグを入れるべきという話があって、割とガチで話し合い、コメディを幾つか入れようとしたが結局コメディ要素が薄かった。もっとコメディを入れないと見る側も疲れると思った。それでも序盤に入れた携帯電話のところは割と笑ってもらえて良かった。

音楽の話をしたい。ストリート・エイジの音楽担当は一人に任せた。本当にスケジュールがカツカツで申し訳なかった。コメディチックなシーンはコメディ音楽にしてもらえて、そこで緊張がほぐれたと思う。ピアノが死ぬほどうまい人で、生演奏で録音してもらったそうだ。本当にすごい。ラストの音楽は必聴(って言葉あるの?)である。

さらに、二日目には急遽音楽を三曲入れてもらった。編集が諸事情でできなかったため、その場で合わせるということになった。僕も是非聞きたくて最後の回で観たが、防災のシフトが入り開始10分近くで抜けることになった。本当に残念の極みだ。というか音楽もらって聴きたい。

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そんなこんなで、文化祭当日は5回とも上映することができた。当日のことはTwitterとかで言ってたので略。「面白かった」と言ってくれた人が何人かいて嬉しかった。同様に、わりと批評をして貰えたのも嬉しい。ストリート・エイジ制作班の人々、B211の人々に本当に感謝であった。B211の他の映画(Game Changerと99.9)はクオリティに関してはトップ2みたいな感じで、上映会もとても面白かった。

改めて映画を撮るのは難しいと思う。それにこれだけ反省点が出る活動もなかなかない。脚本、撮影、編集、当日の宣伝まで反省だらけだと思う。だけど、それだけまだやれることがあるとも思った。また撮りたいと思う。こんなガチガチに書いたけどやっぱり楽しかった。最後の文化祭だったが、これだけやれたのは良かったと思う。出来としては全然だし、B211の他の映画に比べても本当にまだまだという感じだったけど。

一番の反省はやっぱり映像で伝えることだ。今回で言えば幾重もの葛藤を経ての細い細い成長をうまく書き表すこと、文字に表したそれを映像にすること、は文芸部の一員としてみてもやはり難しい。もっと大胆に大味にストーリーを作るのもいいと思うし、細かくやるなら繊細な努力が必要だと思う。個人的には文芸部で妥協しない批評の洗礼を受けたので、もっとやれるはずだと思っている。

「映画やらない?」みたいな話になったのは5月末で、それから9月末の今まで1年の3分の1を使った。超不完全燃焼だけれどとても良い経験だったし、また映画を撮りたいと思う。映像は楽しい。小説と別の楽しさがあった。それ相応の奥深さがあるのが映画だと思う。